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ベールの彼方の生活 4



シリーズ、最後の巻、第4巻。
ちゃんと読みたかったのですが、何せ今日が返却日。

もう、読まずに返すしかないかな・・・と思いつつ、
開いて、パラパラと読み始めると、やっぱり素晴らしい!
相当、飛ばし読みしましたが、気になった箇所はメモメモ。。。

以下に軽く抜粋。
また、時間のある時に、再度借りるか、
非常に価値ある本なので、購入しようかとも。。。
------------------------------------------------------

・人間は上へ目をやって光明を求めて努力することはもとより
結構なことです。が、下へ目を向けて、苦悶の淵にあえいでいる
霊がその淵から抜け出すように手助けすることはそれ以上に
徳のあることです。

・ある時一匹のアリが仲間に言いました。
「なあ、俺たちはアリマキよりは頭がいいんだよな。あいつらを
働かせて俺たちが要るものを作らせてるんだから・・・」

「そりゃあそうさ」と仲間は答えました。
ところがそこへアリクイが現れて、そのアリたちの知恵も一瞬の
うちに消えてしまいました。アリクイは日向で寝そべってこう
つぶやきました。

「アリたちはあんなことを言ってやがったが、みろ、俺はその上を
行ったじゃないか。だが、俺たちよりももっと大きな知恵をもった
ヤツがいるに違いないんだ・・・」

人間がアリと同じような考えでいても、宇宙にはもっと大きい、
そしてそれよに似合った力を具えた存在がいるのです。そういう
大きな存在はせっかちな結論は下しません。

それを知恵が足りないからだと考えてはなりません。

・今日キリスト教徒が信じている教義の中のキリストは本来の
キリストとは似ても似つかぬものです。

・ガラリヤのイエスとして顕現しそのイエスを通して父を顕現した
キリストがブッダを通して顕現したキリストと同一人物であるとの
説は真実ではありません。

またキリストという存在が唯一ではなく数多く存在するというのも
真実ではありません。イエス・キリストは父の一つの側面の顕現で
あり、ブッダ・キリストはまた別の側面の顕現です。

しかも両者は唯一のキリストの異なれる側面でもあるのです。

人間も一人一人が造物主の異なれる側面の顕現です。しかしすべての
人間が共通したものを有しております。同じようにイエス・キリスト
とブッダ・キリストとは別個の存在でありながら共通性を有して
おります。

しかし顕現の大きいさからいうとイエス・キリストの方がブッダ・
キリストに優ります。が、真のキリストの顕現である点においては
同じです。

・人間は次の事実すなわち、少なくとも吾々が知る限り、神性に
おいて性の区別はないこと、男性も女性もないこと、なのにイエス
は、いつの時代においても、かのガラリヤにおいても、男性として
降誕したという事実のもつ重要性を見落としております。

私はこれよりその謎について説明してみます。
これまでの全宇宙の進化は“自己主張”すなわち形体をもって自己を
顕現する方向へ向かってまいりました。

絶対的精髄である霊は、本来、人間が理解している意味での形体で
はありません。悠久の(形態上の)進化もようやく最終的段階を
迎えておりますが、その間のリーダーシップを握ったのは男性であり、
女性ではありませんでした。

それには必然性があったのです。自己主張は本来男性的な傾向であり、
女性的ではないからです。男性は個性を主張し、その中に自分の
選んだ女性を組み入れていこうとします。

その女性を他の女性から隔絶して保護し、育み、我がものとしていき
ます。我が意志が彼女の意志――つまり女性は自分の意志のすべてを
男性の意志に従わせます。

その際、男性の性格の洗練度が高いか低いかによって女性に対する
自己主張の仕方に優しさと愛が多くもなり少なくもなります。
しかし、その洗練というものは男性的理想ではなく女性的理想へ
向かうものです。

・洗練された性格の男性は女性に対して敬意を抱きますが、野獣的
男性は女性に対して優位のみを主張します。同じ意味で、洗練された
国家は他の国に対して有益な存在であることを志向し、相手が弱小
国家であれば力を貸そうとするものです。

が、野蛮な国家はそうは考えず、弱小国を隷属させ自国へ吸収して
しまおうとする態度に出ます。

しかし、程度が高いにせよ低いにせよ、その行為はあくまでも男性的
であり、その違いは性質一つにかかっております。善性が強ければ
与えようとし、邪性が強ければ奪おうとします。

が、与えることも奪うことも男性的性向のしからしむるところであり、
女性的性向ではありません。与えることは男性においては美徳とされ
ますが、女性においては至極あたりまえのことです。

男性は功徳を積むことになりますが、女性はもともとその性向を
女性本能の構成要素の中に含んでおります。

・「人、その友のために己を棄つる、これに優る愛はなし」
(ヨハネ15・13)確かにそうですが、それは男性的な愛です。
それよりさらに大いなる愛が存在します。それは敵のために己の
生命を棄てることです。

自分を虐待する男になおもしがみつこうとする女性の姿を見ていて
私は、そこに女性特有の(友のために捧げる愛よりも偉大な)憎き
相手に捧げる愛を見るのです。

イエスは自分を虐待する者たちのために自分の生命を棄てました。
私にはそれはイエスの本性に宿る男性的要素ではなく女性的要素が
誘発したように思えるのです。

また、なぜ「奪うより与える方が幸福」(使徒行伝20・35)なのか。
男性にとってはこの言葉は観念的にも実際的にも理解が困難ですが、
女性にとっては容易にそして自然に理解がいきます。

男性はそれが真実であることに同意はしても、なお奪い続けようと
するものです。女性は与えるという行為の中に喜びを求めます。
受けたものを何倍にもして返さないと気が済まないのです。

・人間は暴力と威圧による支配が誤りであったことを認識しました。

・地球の過去は男性の過去でした。地球の未来は女性の未来です。

・霊の世界には人間が考え出した(神学の)ような、ややこしい戒律
による規制はありません。あるのはただ愛による導きのみです。
地上にも、優位の立場からの支配は女性の性に不向きであることを
悟った暁に女性が誘導によってリードしていく場があります。

・力の支配するところでは、“オレが先だ。お前はあとに付いてこい”
ということになります。愛の支配するところでは言葉は不要です。
以心伝心で“最愛なる者よ、ともに歩もう”ということになります。

・理性というものは男性的資質に属し、従って私のいう未来を垣間
みる手段としては不適当であることです。直観は女性的資質に属し、
人間の携帯用望遠鏡のレンズとしては理性より上質です。

思うに女性がその直観力をもって未来をどう読まれるにしても、
理性的に得心がいかないと満足しない男性よりは、私が言わんとする
ことを素直に理解してくださるでしょう。

女性は知的理解をしつこく求めようとはしません。理屈にこだわら
ないのです。あまりその必要がないとも言えます。直観力が備わって
いるからです。それで十分間に合いますし、これより先は女性と
男性の双方にとってそれがさらに有益となっていくことでしょう。

・“苦”と“忍”の中にあってなお思いやりの心を忘れないという
のは、宗教的な“行”の中よりもむしろこうした平凡な日常生活での
実践の方がはるかに難しいものである。

シルバーバーチが“何を信じるかよりも日常生活において何を為す
か――それが一番大切です”と述べているのはそこを言っている。

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